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昭和100年に思う

2025年1月11日|カテゴリー「イベント
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2025年は昭和元年から丁度百年、昭和100年と呼ばれます。

この百年の間に、様々なものが変化してきました。

 

ハード面で言えば、一番は電気の普及でしょう。

百年前は、各家庭にようやく電灯がつくくらいの環境でしたが、昭和30年以降は「白物家電」(冷蔵庫、洗濯機、エアコン等々)が広がり、その後テレビも普及します。昭和60年以降は「デジタル家電」(パソコン、携帯電話、インターネット)へと移行しました。

これらによって、暮らしが様変わりしました。

夜明けと日の暮れに合わせて家族一緒に暮らしていた日常が、夜も活動できるようになったために労働時間が増え、深夜までテレビを見て起きている人も増えました。

また、長年女性の役割であった、洗濯や炊事などの効率が劇的に上がり、女性の社会進出も促しました。

そして、その暮らしの変化によって、人々の意識、考え方、などが大きく変わっていくことになります。

「男が外で働き、女は家を守る」のような考えが本当に当たり前だった時代から、「平等」「人権」「権利」「個性」等が問われるようになりました。

 

昨年、ヒットしたドラマ「不適切にもほどがある」では、1986年(昭和61年)と2024年(令和6年)の暮らしや意識の違いをうまく取り上げていました。時代の変遷によって、その時々の「当たり前」も、現代では「不適切」極まりない。

昭和生まれの私の子どもの頃は、先生に刃向かうと平手打ちされたし、お風呂は家長(死語)が一番風呂と決まっていて、全部、仕方ないことと思っていました。

逆に今は、「男のくせに女々しいことを」とか「結婚はしないの?」とか言おうものなら「○○ハラスメント」となってしまうから、言葉のチョイスにとても気を遣います。

昭和生まれの私はどちらの時代の事情も分かり、いろいろ考えさせられました。

事象だけで「不適切」のレッテルを貼るのではなく、時代背景、意識の変化など含めて、今、自分がどう生きたら良いのかしっかり考えなさいと、言われている気がしました。どちらにしても、相手を苦しめることは不適切ですね。

 

さて、次の百年はどう変わっていくのやら。

「令和100年」に生きている人が笑顔であって欲しいと切に願います

         ※ちなみに、上のイラストは、このブログの内容を元にAIが作成したオリジナル画像です。すごい世の中ですね

 

                                    事務 UME

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